ただ釣りの幸せを味わいたかったんだ

世は空前の釣りブームだ。

三密回避なんてどこ吹く風。

首都圏の数少ない釣りスポットには大漁という情報に釣られた釣られ釣り師たちが狭い釣り場に密集している。

よほどの大漁情報でなければ釣られることのない端くれ釣られ師の僕でも昨今の釣り熱は無視できないものであった。

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間違いなく幸せだ。

既に釣りの誘惑は僕の目の前に来ていた。

このまま簡単に釣られて良いのか。

僕は空前絶後の絶好餌を前にありったけの理性を振り絞り立ち止まった。

このまま誘惑に釣られて待ち構えているのは、わずかな釣り可能スペースに大漁の釣られ師が集まることによってできる密だ。

密は釣りの快適さを奪う。

他人の仕掛けが絡んだ暁には釣りの幸せは一瞬にして消え失せる。

では釣られ師がいないのはいつだ。

考えるまでもない。

雨だ。

釣られ師たちの多くは晴れた空の大海原で快適に釣りをするという誘惑に釣られている。

雨=海は危険 と考える思考停止釣られ師たちは雨の日には姿を現さないはずだ。

雨の日こそ愚かな釣られ師たちがいない最も快適な釣り日であるに違いない。

こうして僕は釣り=晴れという定石を破壊し、雨の誘惑に釣られる決意をした。

#逆張り人生

10/15 (木) 雨 

その日は予報通り昼過ぎから冬の気配を感じる冷たい雨が降っていた。

僕は魚が一番釣れるとされる夕方に狙いを定めた。

僕は来たる大漁に備え竿、クーラーボックス、巨大リュックと大量の荷物を抱え、電車に乗り込んだ。

電車内には仕事や学校を終え、疲れた様子で佇む非釣られ師の姿が目立ち、釣り道具を抱える者の姿はなかった。

奴らは「今日は雨で外で何もすることがないから家に帰ろう」とでも思っているのだろうか。

違うだろ。

雨だからこそ外に出るんだろ。

雨だからこそ空いてるんだろ。

雨に怯え思考を停止する人々を見て、僕は自らの判断への自信を深まっていくのを感じた。

電車とバスに揺られること1時間。

僕は目当ての磯子海釣り施設にたどり着いた。

まるで釣られ師の来訪を拒むかのような激しい雨が降りしきっていたが、僕の予想通り釣り場は一部の熱狂的釣られ師を除き、閑散としていた。

僕はカッパタイプのユニフォームに身を包み、手早く準備を終え、釣りを開始した。

釣り開始後わずか数分、すぐさま僕の竿が大きく揺れた。

慎重に引き揚げると竿先には小さなアジが釣れていた。

僕はこの時本日の大漁を信じて疑わなかった。

どうだこれが逆張りの力だ。

僕は釣れたアジをすぐさまバケツに移し、再び竿を投下した。

回遊魚のアジは群れで行動するので、一度釣れ始めると止まらない

はずだった。

1分釣れない 5分釣れない 10分釣れない。

1匹目の釣り上げから完全に当たりが止まった。

気づいた頃には辺りは完全に暗くなり、帰る人々も目立ち始めた。

なぜだ。なぜ釣れなくなったのか。

僕は仕掛けを変え、餌を変え、必死に手を尽くした。

しかしそんな僕の姿を嘲笑うかのように魚は一向に姿を現さず、ただ時間だけが無情に過ぎた。

必死な時間はあっという間に流れ、閉園時間の18時を迎えようとしていた。

釣り番組だったらここから大逆転が起きるのだろう。

しかしここは現実世界だ。そんな夢のような出来事は起こらず、淡々と釣り時間は終わった。

釣果 アジ1匹

今日という1日はいったい何だったのだろうか。

僕はただ徒に雨に濡れ続け、このアジ1匹に数千円もの費用を払ったのだ。

これが釣りだといえばそれまでなのだろうか。

片付けの際、僕の脳裏には数々の疑問が浮かんだ。

帰り際に釣り施設の職員から釣果を尋ねられた。

アジが2匹と答えた。


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